【おおいしじんじゃ/あかくらじんじゃ】
岩木山の北東側の麓にある神社である。徐々に山の中に入る舗装路を道なりに進むと、やがて大きな鳥居が見えてくる。その扁額には【大石大神 赤倉大神】の名がある。
大石神社は岩木山信仰によって成立している。岩木山頂にある奥宮に対する下居宮(里宮)が坂上田村麻呂によって北麓の十腰内の地に創建され、岩木山登山道の入口である赤倉沢にあった巨石も信仰の対象となった。それから下居宮は寛治5年(1091年)に南麓の百沢に遷され、現在の岩木山神社となる(十腰内の社は巌鬼山神社となる)。この遷宮によって、赤倉沢の巨石は“巨石大石明神”としてますます信仰の対象となったのである。
そして慶長17年(1612年)、津軽藩2代藩主の津軽信牧が赤倉山御祈願所として勧請したのが大石神社である。御神体は言うまでもなく巨石であり、いわゆる陰陽石として子授けや安産、縁結びの神とされた。後年には農耕や牛馬の神ともされ(境内には神馬を奉納した祠が多数)、水神や竜神なども祀られている。
本殿の後ろに石垣で隠すように囲まれた御神体の巨石は、結界を意味する「千曳岩」という名で呼ばれている。ここで言うところの“結界”とは、この神社の奥にある赤倉神社を中心とする“赤倉霊場”を指す。
大石神社の鳥居前には、この霊場を案内した地図が掲げてある。岩木山登山から発生した霊場であるが、その歴史はそれほど古くなく、明治から大正にかけての頃より始まり、地図にある社やお堂が建てられたのは昭和30~40年代にかけてのことらしい。これらは、地元で言うところの“カミサマ”、いわゆる御託宣を行う霊能者が個々に造営したものである。彼らはこの赤沢に縁あって修行し、神を祀るのである。(この霊場は国有林なので、社やお堂は土地を借り受けて運営しているらしい。ただし借り受けられた時期は建築ラッシュのあった昭和中期だけであり、現在はこの地に造営が許可されることはない。)
奥まで進入することはなかったが、舗装道が途切れる寸前の、霊場の一番手前にある菊乃道神道教社まで足を運んでみた。
<用語解説>
◆赤倉沢
岩木山神社が岩木山信仰の表の顔とするならば、赤倉沢が裏の顔と言われる。古代の山岳信仰の形が色濃く残っているとされ、大石神社や赤倉山神社などには神仏習合の概念が残されている。
また“赤倉の大人(おおひと)”と呼ばれる鬼神がこの地に住み着いており、里にやって来ては農作業などを手伝ったという伝承がある。
アクセス:青森県弘前市大森勝山