【せんにんづか】
永禄3年(1560年)5月19日、駿河の太守・今川義元は織田信長の奇襲を受けて戦死する。世に言う「桶狭間の戦い」である。この桶狭間の古戦場と目される場所が豊明市にあり、緑地公園化されている。その場所から北東へ数百m行ったところに戦人塚がある。
桶狭間の戦いで敗死した今川方の将兵の数は約2500名とされている。この遺体を埋葬したのが、近くの曹源寺の住職であった快翁龍喜であった。塔頭の明窓宗印に命じて村人を動員して各所に塚を造り、戦死者を埋葬したと伝わる。当初は駿河塚と呼ばれていたという。その後、塚の多くの宅地化され消滅したが、この塚だけは代表的なものとして残された。現在塚の上にある供養碑は、元文4年(1739年)に百八十回忌の供養として建てられたものである。現在でも、毎年合戦のあった日を忌日として、曹源寺が法要をおこなっている。
<用語解説>
◆「桶狭間」の位置
有名な桶狭間の戦いであるが、正確な位置については諸説ある。上記の豊明市は今川義元の墓があるため、古戦場として最も有力であるとされている。しかし「桶狭間」の地名が残されている名古屋市緑区にも古戦場とされる地があり、戦場がどこであったかを決定付けるまでには至っていない。
アクセス:愛知県豊明市前後町仙人塚