【こまちでら】
洛北の市原は小野一族の所領地であった。その地に【小町寺】という通り名の寺院がある。正式な名は【補陀洛寺(ふだらくじ)】。小野小町終焉の地として知られ、小町の晩年からその死後にまつわるさまざまな伝承の史蹟がある。
伝説によると、小町は京都や地方を転々としていたが、晩年は小野氏の所領である市原に居を定めて暮らしていたという。ある時、井戸の水に映った自分の姿を見て愕然とする。そこに映った姿は、もはや昔の美貌とは懸け離れた老婆の姿であった。その醜く老いさらばえた姿を嘆き悲しみ、小町はこの地で亡くなるのである。実際、この小町寺の境内には『姿見の井戸』という湧き水の跡がある。
さらにこの小町寺には“小野小町老衰像”というストレートな名前の像が安置されている。顔の表情から女性であると認識できるが、絶世の美女と言われた小町のイメージをその像から思い浮かべることはまず無理である。むしろその容姿から想像されるのは、三途の川の番人である“脱衣婆”である。
しかし、無常さという意味で【姿見の井戸】を越える逸話がこの寺には残されている。死んだのち、小町の遺骸は埋葬されず放置されていた。ある時、その辺りを僧が通りかかると「あなめ、あなめ(ああ、目が痛い)」という声が聞こえる。不審に思って声のする方へ行くと、一つの髑髏が転がっており、その目の穴からすすきが生えていた。その髑髏の主が小町だったのである。
小町寺の境内の一角に、髑髏が転がっていた場所が特定されている。しかもそこは今でもなお、すすきが生えてくる。【穴目のすすき】と呼ばれるその逸話は、死んでなお不遇であった小野小町を象徴するものである。
『通小町(かよいこまち)』という能の演目がある。鞍馬に滞在する僧のもとへ若い女性が毎日訪れる。名を聞くと「小野とは云わじ、すすき生いたる…」と答えて消える。思い当たる節があり、市原にある小野小町の墓所に赴き供養する。そこへくだんの女が現れて受戒を頼むが、男が現れ妨害しようとする。女は小野小町の亡霊、男は小町への百夜通いを果たせずに死んだ深草少将の亡霊であった。成仏しようとする小町と、愛憎の世界に留まろうとする少将。 僧は二人に受戒を勧め、少将に百夜通いの様子を再現させる。そして二人は悟りを開き、成仏する。
この世阿弥が作り上げた演目によって、市原は小野小町終焉の地として知られるようになる。
<用語解説>
◆小野小町
生没年不詳。出羽郡司・小野良真(小野篁の息子)の娘とされている。歌人として名高いが、その素性については諸説あって不明な点が多い。また生誕・死没にまつわる伝承地が全国各地にある。
◆深草少将
小野小町に求愛するが、百夜通うことを条件に出されたため、小町の屋敷へ通い詰める。しかし最後の日に雪の中に倒れて亡くなる。だが、深草少将は、世阿弥などが小町を主人公にして作った能の作品で登場させた架空の人物である。(モデルとなった伝承は以前よりあったようだが、“小町の百夜通い”という形に完成させたのは世阿弥であるという)
アクセス:京都市左京区静市市原町