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高野山 奥の院

【こうやさん おくのいん】

高野山の奥の院が聖地とされるのは、参道の最も奥まった御廟に空海がいるからである。空海は承和2年(835年)3月21日、この高野山において【即身成仏】した。つまり、生きたまま仏となったのである。入定する際、空海は真言を唱えながら、大日如来の印を結び、結跏趺坐の状態だったという。そして今でもこのままの姿で 国家鎮護のためにあるという(実際今なお、毎朝食事が供せられる)。まさしく聖地の中の聖地である。

この奥の院にも不思議な伝説・伝承のものがある。武田信玄親子の墓所の横にあるのが“大師腰掛け石”である。空海がここに腰を下ろしているうちに窪んでしまったという逸話が残っている。果たして丸いくぼみになっており、何らかの事情で磨滅した石であることが判る。さすがに腰掛けるだけで出来るようなものではない。

一之橋から御廟に至る参道の途中に中之橋が架かっている。その橋のすぐそばには“汗かき地蔵”と“姿見の井戸”という伝説を持つ二つの物件がある。“汗かき地蔵”は罪多き人の代わりに地獄の業火を受けて汗をかくのだそうである。しかも巳の刻(午前10時前後)に汗をかくという言い伝えがある。

そして高野山七不思議の一つとされる“姿見の井戸”であるが、その井戸の水は眼病に効くという。さらにこの井戸を覗き見て、もし自分の姿が見えなかったら、三年以内に死ぬということらしい。

御廟に架かる橋から奥は【聖地】であり、写真撮影も一切禁止である。この橋の下を流れる 玉川に住む魚にも、伝説は残されている。空海がこの地を訪れた時、一人の猟師がこの川の魚を串刺しにして焼こうとしていた。それを憐れんで魚を川に解き放つと、再びそれは生命を取り戻して泳ぎだしたという。そのため、現在でもこの川を泳ぐ魚には串が刺さっていた部分が斑点として残されている。

そして御廟はまさに異様な雰囲気であった。御廟の手前にある燈籠堂には、所狭しと飾られた灯籠に灯りがともされ、読経の声が響き渡る。この世で最も浄土に近い場所と言われるだけの荘厳な雰囲気である。

<用語解説>
◆空海
774-835。真言宗の開祖。諡号は弘法大師。讃岐国に生まれ、若くして数々の霊場霊山にて修行に励んで出家、31歳の時に留学生として唐で真言密教を伝授される。2年後に帰国、43歳の時に高野山を建立。50歳の時に救王護国寺(東寺)を建立。62歳で高野山にて入滅。全国各地に伝承を持つ。

アクセス:和歌山県伊都郡高野町高野山

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