【めくらへびいし】
那須の殺生石へ至る遊歩道の途中にある巨石である。
昔、五左衛門という湯守が冬に備えて山で薪を採ってきた帰り道。殺生石の付近で一服していると、人の背丈を超えるような大きな蛇を見つけた。だがその蛇は目が白く濁っており、明らかに目が見えていない。おそらくこのままでは冬を越すことは出来まいと考えた五左衛門は、辺りの枯れ枝やすすきで小さな小屋を仕立ててやった。
翌年の春、五左衛門は盲目の蛇のことが気になって、早々に河原にやって来た。しかし蛇はどこにも見当たらず、その代わりに不思議な光景があった。小屋に仕立てた枯れ枝やすすきがキラキラと輝いていたのだった。湯の花がそれらに付着していたのである。これを見て五左衛門は湯の花の作り方を悟り、やがてこの製法を皆が真似て作るようになった。そして人々は、五左衛門の優しい心が神に通じて湯の花作りを教えたのだと信じ、また盲目の蛇に対しても感謝の気持ちを込め、蛇の鎌首に似た巨石を“盲蛇石”と名付けて後世に伝えたという。
現在でも殺生石へ至る道の途中には、湯の花の採取場が再現され、昔ながらの製法の様子が分かる。蒸気の噴き出す場所に木や草を置き、それに湯の花の結晶を付着させるというやり方である。ただ現在はこのような方法による採取はおこなわれておらず、あくまで観光用の展示として再現されているようである。
<用語解説>
◆湯の花
温泉に含まれる成分が結晶化したもの。主に硫黄や明礬が成分となっている。かつて那須では上記の方法で採取がおこなわれ、約100日掛けて結晶を取り出すとされる。
◆那須温泉
舒明天皇2年(630年)、郡司の狩野三郎行広は土地を荒らす白鹿を退治したが、一時その鹿が深手を負って逃げた。追い求めた三郎は途中で翁(温泉神)と出会い、鹿が温泉で傷を癒やしているのを見つけて退治したという。それが開湯の縁起とされる。共同湯の「鹿の湯」の名はこれに由来する。
アクセス:栃木県那須郡那須町湯本