【やえがきじんじゃ】
主祭神は素戔嗚尊と稲田姫命。創建は神話時代にまで遡るとされる。
八岐大蛇を退治する前に、素戔嗚尊は生贄となる稲田姫命を隠すために、佐久佐女の森にある大杉を中心に八重垣を造り、そこに匿った。そして八岐大蛇を退治した後に稲田姫命を娶り、須賀の地(現在の須我神社)に宮を建てると共に、姫の隠れ住んでいた佐久佐女の森にも宮を建てた。その宮は
「八雲立つ 出雲八重垣 妻込に 八重垣造る その八重垣を」
の歌にちなんで“八重垣の宮”と呼ばれた。これが現在の八重垣神社の始まりとされる。
しかし実際のところ、平安時代には、素戔嗚尊と稲田姫命の子である青幡佐草比古命を祭神とする佐草神社がこの地にあり、そこに親神である両神が遷座。中世以降になってようやく“八重垣神社”の名が登場し、素戔嗚尊と稲田姫命が主祭神となったようである。そして明治初期にも佐草神社と名乗ったが、明治11年(1878年)に八重垣神社に改称した(ちなみに青幡佐草比古命は現在も八重垣神社の祭神となっており、同神社の宮司は命の子孫とされる佐草氏が務める)。
素戔嗚尊と稲田姫命が結ばれた故地であるため、ご利益は縁結びである。特に有名なものは、佐久佐女の森と比定される神社境内の奥の院には、身を隠していた稲田姫命が毎日姿を映して身だしなみを整えていたとされる“鏡の池”があり、そこでは縁占いをおこなうことが出来る。紙の上に硬貨(10円か100円)を乗せて静かに水面に浮かべて、その沈む時間や位置で占いをおこなうもの。また2本の木がくっついて1本の木のようになって生えている“連理の椿”と呼ばれるものがいくつか境内にあり、中でも鳥居前にあるものは圧巻の大きさである。なおこの椿の縁で、資生堂とも深い繋がりがあるとされている。
<用語解説>
◆八重垣神社の宝物
全国的に貴重な重要文化財として保管されているのが、素戔嗚尊・稲田姫命など6柱の神が描かれた壁画である。伝承では、寛平5年(893年)に巨勢金岡の作とされているが、実際には描かれた板の伐採年数測定から室町時代の作であるとされている。
◆資生堂
明治5年(1872年)創業の、国内最大手の化粧品メーカー。企業ロゴとして“花椿”が用いられているため、八重垣神社の連理の椿との関連の噂があるが、実際には、ロゴが出来た当時の主力商品が“椿油”だったためにデザインされている。むしろ資生堂自体よりも、その会員組織である“花椿会”との繋がりが深かったらしい(資生堂も企業として出雲大社を崇敬しており、出雲地方とは非常に縁があるのは間違いない)。
アクセス:島根県松江市佐草町