【かしいぐう】
主祭神は、第14代仲哀天皇と神功皇后。仲哀天皇が熊襲平定のために九州に至るが、その途中で急に崩御される。そこで神功皇后が、急逝した橿日宮に天皇の御霊を祀ったことに始まるとされる。さらに月日が流れ、養老7年(723年)神功皇后自身の神託があり、朝廷によって社殿が造られた。このような経緯から長らく“香椎廟”と呼ばれ、神社や神宮の名を冠することはなかった(現在でも香椎神社・香椎神宮ではなく“香椎宮”が正式な名である)。
香椎という地名は、橿日宮にあった“棺懸の椎”に由来する。神功皇后が、仲哀天皇の亡骸を収めた棺を立て掛けたことから名が付いた木である。この時、椎の木からかんばしい香りが漂ってきたことに由来すると言われる。現在でも「古宮」として橿日宮跡が残されており、そこに棺懸の椎がある。
また香椎宮境内には、綾杉という神木がある。神功皇后が三韓征伐から戻った折、剣・鉾・杖を埋めてその上に「とこしえに本朝を鎮め護るべし」と杉を植えたものである。葉の形状は他の杉と異なっていて、葉が交わった様子が綾紋のようであるために綾杉と名が付いたとされる。また大宰府の帥(長官)として赴任した者は、香椎宮へ必ず参拝して、神職よりこの杉の葉を授かり冠に挿すのが慣例であったという。
香椎宮の飛び地としてある不老水大明神は、仲哀天皇・神功皇后に仕えた武内宿禰が、朝夕に水を汲んで天皇の食事に使っていたとされる湧水を祀ったものである。不老水の名は、武内宿禰もこの水を使用して長命を保ったために付けられた。名水百選にも選ばれ、今でも飲用可である。
<用語解説>
◆仲哀天皇
第14代天皇。父は日本武尊。皇后は神功皇后。在位8年に熊襲討伐のために九州へ赴く。その時神功皇后が神懸かり、新羅を授けるとの神託を受ける。しかしその神託を信用しなかったため、神の怒りに触れて橿日宮で崩御したとされる(別伝では熊襲の矢に当たって崩御したとも)。
◆神功皇后
仲哀天皇急死の後、神託を受けて、男児(第15代応神天皇)を懐妊したまま男装して新羅を攻めた(三韓征伐)とされる。帰還後に応神天皇を出産する。三韓征伐にまつわる伝承が各地に残されている。
◆武内宿禰
84?-367?。景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕えたとされる大臣。360歳という高齢で亡くなったとされているため、非実在説もある。
アクセス:福岡県福岡市東区香椎