矢田寺 地獄地蔵

【やたでら じごくじぞう】

京都の繁華街のど真ん中、寺町三条を少し上がったところに矢田寺という寺がある。いかにも繁華街にありそうな外見であるが、実はこの寺は非常に不思議な伝説を持つ寺である。

まだこの寺が奈良の地にあったときのこと。この寺の住職である満慶上人はある人物の訪問を受けた。その人物は、昼は朝廷の役人、夜は地獄の役人として有名な小野篁である。篁は、閻魔大王が菩薩戒を受けたいという依頼を受けて、懇意であった満慶上人を訪ねたのである。こうしてふたりは六道珍皇寺の井戸から地獄へ向かったのである。

地獄で閻魔大王に菩薩戒を与えた満慶上人は、ついでに篁と共に地獄巡りを行った。そして焦熱地獄の所まで来ると、そこに一人の僧がいるのに気がついた。

地獄にいる僧とは一体どのような者なのか。満慶上人はいぶかしんで僧に問うと、「私は世の多くの人が苦しむ身代わりとなっている」と答え、その本性である地蔵菩薩の姿となったという。地獄から戻った満慶上人は、この僧の姿を似せた像を造り、本尊として祀ったという。

本堂の奥、ガラス戸の隙間から見えるのが、本尊の地蔵菩薩である。地獄で出会った地蔵菩薩ということで「地獄地蔵」、あるいは人々の身代わりとなっていることで「代受苦地蔵」と呼ばれている。焦熱地獄で見かけた印象からか、この地蔵菩薩は火焔に包まれている(隙間にある赤く波打っているのが火焔の彫刻で ある)。昔は不動明王のように背中に背負っていたのだそうだが、いつの間にか本尊の前に置かれるようになった。火に強いお地蔵様ということかもしれないが、天明年間に起こった大火のときに、罹災した人々を救ったという伝説も残っている。

本堂の前に梵鐘がある。この鐘こそが、六道珍皇寺にある【迎え鐘】に対して【送り鐘】と呼ばれるものである。お盆のはじまりのときに精霊の迎えの合図として鳴らすのが珍皇寺の鐘であり、お盆の終わり(つまり8月16日)に冥土へ精霊を送るために突かれるのがこの【送り鐘】である。

<用語解説>
◆満慶上人
大和郡山にある矢田寺(正式名:矢田山金剛山寺)の住持。京都五条に別院を建て、地蔵菩薩を祀る(これが今の矢田寺)。
満慶は地獄からの帰りに、閻魔大王から小箱をもらう。その中には白米が詰まっており、使っても減らなかったという。この伝説から「満米(まんべい)上人」とも言われるようになった。

◆小野篁
802-857。参議。野宰相の異名を持つ。政務にも明るく、また文才は天下無双と言われた。数々の伝説を持ち、特に地獄の冥官として閻魔大王に仕えた話は、生前から噂されていたものであるとされる。

◆地蔵菩薩
六道(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)を輪廻して衆生を救済する菩薩。特に浄土信仰が強まり、地獄からの救済を求める人々によって信仰された。また最も弱い存在である子供の守護者として崇敬された(賽の河原地蔵和讃)。

アクセス:京都市中京区寺町通三条上ル天性寺前町