岩神さん(岩神神社)

【いわがみさん(いわがみじんじゃ)】

千本上立売を東に入ったところ、そこはちょうど西陣と呼ばれる一帯に当たる。そこにぽつねんと大きな岩が置かれている。それが「岩神さん」である。

今でこそ申し訳程度に囲まれた巨大な岩が置かれているだけであるが、江戸時代には“岩神社”と呼ばれ、それを祀る寺院もあったらしい。だが、たび重なる大火によって堂宇は焼かれ、明治に入った直後に廃寺となり、岩だけが取り残される形で今日に至ったいるという。江戸時代には【授乳】のご利益があり、若い女性の参拝が絶えなかったといわれている。ちなみに当時あった寺院の名は“有乳山岩神寺”。

この岩がこの地にある由来は次の通りである。

元々この岩は二条堀川あたりにあったのだが、二条城建築に伴って転々と居場所を変えた。寛永の頃、後陽成天皇の女御・中和門院の御所内(現在の二条城あたり)にあった池から夜ごと泣き声が聞こえる。調べてみると、池のほとりある岩が泣いているらしい。また小僧に化けて怪事をなしたともいう。ということで手を焼いていたところ、真言宗・蓮乗院の僧がこの岩を譲り受けて、現在の地に祀ったのが、「岩神さん」の始まりというのである

なぜこの岩が泣いたり喋ったりするのかというと、さらにそれをさかのぼる伝説がある。平安時代、現在「岩神さん」がある付近に藤原時平の屋敷があり、この岩には時平の乳母の霊が宿っているというのである。この乳母の霊であるが、どうやら時平の政敵であった菅原道真が嫌いらしく、北野天満宮へ参る者が通りかかると祟りをなしたという。そのため、ここを通って北野天満宮へ行く者はなくなったらしい。

さらに江戸時代末には、この辺りに禿童の姿をした妖怪が現れて通行人に悪さをしたらしい。そこで地元の人々がこの「岩神さん」に祈ったところ、妖怪は現れなくなったという(一説では、この妖怪自体が岩の化身であったとも)。

<用語解説>
◆中和門院
1575-1630。近衛前子。豊臣秀吉の猶子として後陽成天皇の女御となる。後水尾天皇の生母。

◆藤原時平
871-909。藤原基経の長男。醍醐天皇の治世に左大臣となる。その時の右大臣が菅原道真。政治的にはことごとく対立する間柄であったと言われる。時平は道真を讒言によって追い落とし、その後醍醐天皇の親政(延喜の治)を支えるも、39歳にて死去。若死に故に道真の祟りと噂された。

アクセス:京都市上京区上立売通浄福寺東入ル大黒町