鎌八幡宮

【かまはちまんぐう】

明治42年(1909年)に丹生酒殿神社に合祀されて境内社となっているが、鎌八幡宮の創建は高野山開山の歴史も関係する。

八幡宮の名称から分かるように、起源は神功皇后の伝承にまで遡る。三韓討伐の際に神功皇后が用いたとされる幟と熊手がこの神社の御神体であるという。この御神体ははじめ讃岐国の多度津辺りにあったのだが(この当時は熊手八幡と称していた)、弘法大師が高野山を開山した時についてきたために、この地に祀られることになった。そして依り代として櫟(いちい)の木を祀ったのである。

鎌八幡宮は現在も社殿はなく、鳥居の奥には一本の大きな櫟の木があるだけである。しかもその木には無数の鎌が打ち込まれている。この奇観こそが鎌八幡宮の名の由来である。『紀伊続風土記』によると、櫟の木に鎌を打ち込むことで、これを献じて祈願成就を願う。そして成就する場合は鎌がさらに深く食い込んでいき、叶わない場合はそのまま木から外れ落ちるという不思議なことが起きるとされる。現在でも古く錆び付いた鎌に混じって、新しく祈願のために献じられたと思しき鎌が散見できる。

<用語解説>
◆丹生酒殿神社
主祭神は丹生都比売命。天照大神の妹神とも、紀ノ川水系の水神であるともされる。また高野山開山とも深く関わる高野神の母神であるともされる。酒殿神社の名称は、丹生都比売命が紀ノ川の水を使って酒を醸したとの言い伝えによる。

◆『紀伊続風土記』
天保10年(1839年)に完成した、紀州藩編纂の地誌。その詳細な記述により、紀州地方の地誌研究の第一級資料とされる。

アクセス:和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷