茨木童子貌見橋

【いばらきどうじすがたみはし】

今では茨木市のシンボルキャラクターとなっている茨木童子であるが、その名の通り、昔からこの茨木が出身地であるとされている。

伝説によると、茨木童子は摂津の水尾村(現・茨木市水尾)の生まれであり、生まれ落ちた時には既に歯が生え揃い、すぐに自分の足で歩くことが出来たという。そのため生みの母は怖れのあまり亡くなり、父親は茨木村の外れに置き去りにして捨ててしまった。

その幼子を拾い育てたのが、近くの床屋であった。成長して床屋の手伝いをするようになった茨木童子であるが、ある日、誤って客の顔を剃刀で切ってしまい、慌てて流れ出た血を舐めたところその味に魅了されてしまった。それ以降、わざと客の顔を切ってはその血を舐め続けたのである。当然のことながら評判は悪くなり、結局床屋に怒られるようになった。

ある夜、顔を洗おうと近くの川へ行った茨木童子が、ふと橋の上から水面に映る自分の姿を見た。その容貌はまさに鬼そのものであった。驚いた茨木童子は床屋には戻らず、そのまま丹波の大江山まで行き着き、酒呑童子の家来となるのであった。

茨木童子が己の容姿に気付いたとされる橋がかつてはあったのだが、現在は存在しない。既に川も埋められており、民家の軒下にその跡を示す碑があるだけである。

<用語解説>
◆茨木童子の出生地
出生地には3説ある。摂津の水尾村、同じく摂津の富松村(現・兵庫県尼崎市)、そして越後の軽井沢村である。摂津の2箇所については、生まれた直後に茨木村に捨てられたとされ、そこから茨木童子の名が付けられたとされる。対して越後の方はその土地に住む茨木氏の出身であるとされる(越後説では、酒呑童子も越後の出身ということになっている)。

アクセス:大阪府茨木市新庄町