七宝瀧寺 志津の涙水

【しっぽうりゅうじ しづのなみだみず】

役小角によって開基された犬鳴山七宝瀧寺は、葛城山系の修行場の根本道場として栄えた古刹であり、多くの伝説を持つ。“七宝瀧寺”の名は祈雨の呪法による降雨を賞した淳和天皇が付けられたものであり、山号である“犬鳴山”は有名な義犬伝説から宇多天皇が勅したものである。そしてその院号である“白雲院”にも有名な伝説が残されている。

官女の志津は、御所に出入りする修行僧の淡路の小聖を恋い慕うようになった(一説では、志津は淡路島に住む官女であり、たまたまその地を訪れた若い修行僧に懸想したとも)。しかし、言い寄られた小聖は修行大事とばかりに出会うことを拒み、いずこともなく立ち去ってしまった。それでも志津は諦めきれず、小聖を追って流浪の旅に出るのであった。

そして2年後、七宝瀧寺に小聖が修行で滞在していることを聞きつけた志津は、犬鳴山に足を向けた。だが、山は白雲に包まれて先が見えず、やがて志津は寒さと飢えのために参道に倒れそのまま息絶えたのであった。事情を知った村人が志津を葬ったのであるが、その未練のためか、犬鳴山に白雲が掛かると必ず冷たい雨が降るようになった。人々はそれを“志津の涙雨”と呼びならわし、やがて白雲院という院号で呼ばれるようになったという。さらに志津の倒れたあたりから清水が湧き出し、いつしか“志津の涙水”と呼ばれるようになった。現在でも涸れることなく、清水がしたたり落ち続けている。

<用語解説>
◆役小角
634?-701?。近畿一円の山岳地帯で修行を重ね、修験道の祖とされる。大峯・熊野・吉野・葛城などの修験道の修行場は全て役小角の開基とされる。

アクセス:大阪府泉佐野市大木