桂昌寺跡 地獄極楽

【けいしょうじあと じごくごくらく】

桂昌寺は江戸時代には無住寺となり荒廃していた。江戸後期になり午道法印という僧が復興させ、ついで文政3年(1820年)頃に“地獄極楽”を造って大衆教導をおこなったという。

この地獄極楽は、本堂後ろにある岩場に約70mの洞窟を掘り、地獄と極楽の様子を立体的に展示したものである。入り口すぐには閻魔大王と牛頭馬頭が待ち受ける地獄が始まる。さらに奥へ行くと、奪衣婆や血の池地獄など、おなじみの地獄の風景が展開される。この地獄道を抜けると、今度は十三仏が並ぶ極楽への道が続く。そして最大の難所である、高さ5mほどの縦穴を鎖を伝ってよじ登ると、岩場の頂上に出ることができ、そこが極楽浄土の場所となっている。

素人が造った石像、しかも江戸時代に造られた洞窟であるので、規模も小さく稚拙な印象もあるが、“大衆教導”という観点から見ると、なかなか興味深いものを覚える。特に地獄から極楽へ続いていく道、とりわけ最後に極楽へ達するために縦穴をよじ登り、じめじめした洞窟から一転日の当たる高台に出てこれるという趣向は、今日でも感動的な体験であるだろうと思うところである。

アクセス:大分県宇佐市安心院町東恵良