目洗い地蔵

【めあらいじぞう】

説経節で有名な『山椒大夫』の最終場面は佐渡の地である。安寿と厨子王の二人の子供と引き離された母親が人買いに売り飛ばされたのが佐渡であり、悲しみのあまりに盲目となってもなお二人の身を案じて、米をついばみにくる雀を追い払いながら二人の名を歌い続けている。そこへ帝によって取り立てられた厨子王が、母の噂を聞きつけて佐渡を訪れて再会するのである。

佐渡島にも安寿と厨子王の伝説は残されているが、有名なあらすじとは異なる展開となっている。

安寿と厨子王の二人は山椒大夫の手から逃れることに成功し、帝によって父の名誉も回復した後、売られた母親を探しに佐渡に辿り着く。ところが佐渡の島は思いのほか広く、二人は手分けして母の行方を尋ねたのである。最初に母を見つけたのは姉の安寿であった。盲目となって鳥を追い払う母の姿を見て安寿は思わず駆け寄るが、日頃から島の子供から同じようなことをされていた母は、いつもの悪戯と思って棒で安寿を打ち据えたのである。すると当たり所が悪く、安寿は死んでしまう。安寿の供の者に聞いて、実の娘を誤って死なせてしまったことを知った母は、泣く泣く遺骸を浜の近くに葬ったのである。そしてせめて厨子王とだけは声だけでも交わしたいと、供の者に頼んで厨子王の許へ案内してもらうのである。

一方、厨子王も母の居場所を知って相川の町から北へ向かった。そして二人は途中で巡り会い再会を果たしたのである。その時二人は「達者で会えて良かった」と言葉を交わしたので、この地は“達者”と呼ばれるようになったという。さらに、厨子王が近くの清水で母の目を洗うと、目が見えるようになったのである。そこでこの清水は眼病に霊験あらたかということで、いつしか湧き水の場所に目洗い地蔵が祀られるようになったのである。

目洗い地蔵のある場所には、今でも清水が湧き出ている。そしてそのそばに「安寿地蔵堂」が建てられ、地元の人によって清水を利用した風呂が開放されている。

<用語解説>
◆『山椒大夫』
無実の罪で筑紫に流された陸奥国の太守・岩城判官を追って、妻と二人の子供(安寿と厨子王)が旅に出るが、途中の直江津で人買いに騙され、母は佐渡へ、子供達は丹後の山椒大夫に売られる。二人は下僕となってこき使われ虐め抜かれ、遂に安寿は自らの命を絶って厨子王を逃がす。国分寺の住職の助けもあって京へ行った厨子王はやがて帝の目にとまり、父の罪を赦され、さらに太守となる。そして山椒大夫らを成敗し、佐渡へ行って母と再会する。

アクセス:新潟県佐渡市達者