人柱供養堂

【ひとばしらくようどう】

上越の奥深くにあるこの地区は、古くから地滑り災害が多発している。この人柱供養堂も、その地滑りの災害を防ぐために命を賭した人物を祀るために建てられたものである。

猿供養寺地区には以下のような伝説が残されている。ある盲目の旅僧が信州から越後へ抜けようとしてこの近くの峠を通りがかった時、大蛇たちがこの辺り一帯で地滑りを起こして住処の池を作ろうという密議をしているところに出くわした。運悪く大蛇に見つかった旅僧は、この密議を口外しないと誓わされて解放された。しかし、猿供養寺での地滑りの惨状を知った旅僧は大蛇の密議を暴露して、大蛇のはかりごとを妨害した。そして最後に残された妨害である「人柱を立てる」ことを成就させるため、大蛇の秘密を漏らして既に命を狙われている自らを人柱とするように頼み、そして埋められた。このことによって、大蛇たちのはかりごとは叶わず、この地区における地滑りは起こらなくなったという。

ここまでの話であれば、全国に各地に残された人柱伝説と同じようなものであったが、昭和12年(1937年)3月、この伝承が残る土地で客土採掘中に大甕が発見され、その中に座禅を組んだ状態の人骨を確認したのである。そして昭和36年(1961年)に、この人骨が関西系の40~50歳の男性のものであることが分かり、この人柱伝説が事実であることと確かめられたのである。

現在のお堂は平成になってから建て直されたものであり、隣接して「地すべり資料館」という自然科学系資料館がある。またこの人柱供養堂は地滑りを食い止めた僧を祀るということで、合格祈願(「すべらない」ということ)のお守りを授与しているとのこと。

アクセス:新潟県上越市板倉区猿供養寺