鹽竈神社/御釜神社

【しおがまじんじゃ/おかまじんじゃ】

鹽竈神社は陸奥国一之宮、東北鎮守として崇敬を集める神社である。ただ「弘仁式」において祭祀料正税一万束を受け取るほどの大社でありながら、「延喜式」では式内社に挙げられず、その後も目立った神階を授かることもなかった。明治時代になって、式内社で国幣中社であった志波彦神社が敷地内に遷宮されてから、両社で国幣中社としてようやく大社としての社格を得たと言える。

祭神は、主祭神が塩土老翁神で別宮に祀られ、武甕槌神が左宮に、経津主神が右宮に祀られている。伝説によると、東北平定を命ぜられた武甕槌神と経津主神は塩土老翁神の先導によって目的を達成してそれぞれ元の宮(鹿島神宮と香取神宮)へ帰ったが、塩土老翁神だけは東北に残って製塩法を教えたという。

鹽竈神社が製塩と密接に関わることを示す藻塩焼神事が、境外摂社である御釜神社に伝わる。御釜神社には、日本三奇の1つである神竈と呼ばれる、直径1m強の4口の竈がある(これらの竈は奉置所の中にあり、社務所に申し出て拝観することができる)。土塩老翁神はこの竈を使って製塩技法を教えたという。現在でも常に潮水が張られており、屋根のない場所であるにも拘わらず、どんな旱魃の時にも決して涸れることはなく、また溢れることもないと伝えられる。また「塩竈」という土地の名はこの「四の竈」が由来であるともされる。

さらに境内には牛石藤鞭社があり、和賀佐彦という神が7歳の童子に変じて、背に塩を載せた牛を引いていたが、それが石と化したとされる。今でも境内の池の中にその石が沈められており、見ることができるという。またその童子が藤の枝を鞭にしていたが、それを立てかけておくと枝葉が伸びて藤の花が咲いたと言われる。

<用語解説>
◆塩土老翁神(しおつちのおじ)
記紀に登場する神。釣り針をなくした山幸彦のために舟(または目の詰まった竹籠)を用意して、海神の許へ赴くよう進言したとされる。また神武東征においては、神武天皇に東に良い土地があることを告げて、東征を決意させている。

◆藻塩焼神事
宮城県無形民俗文化財。7月4日に七ヶ浜沖でホンダワラを刈り取る。5日に満潮時の潮水を取り、神竈の潮水を取り替える。6日にホンダワラを敷いた大釜に潮水を入れて煮詰めて粗塩を採取する。御釜神社の神前に供え、そして10日の鹽竈神社例大祭の神饌とする。

アクセス:宮城県塩竃市一森山(鹽竈神社)/本町(御釜神社)