鯉石

【こいいし】

文化年間(1804-1818)のこと。有岡城があった土地に畑を持つ材木屋新兵衛が、耕作の邪魔になると大石をどけてみた。するとその下から生きたままの鯉が現れた。

不思議に思い、鯉を一旦家に持ち帰ったが、龍の化身ではないかとして猪名野神社の弁天池に放してやった。そして大石の方は、彫ったように鯉の姿が残されており、こちらは役所に届けて庭石として引き取られたとされる。

現在、この鯉石は伊丹市博物館の玄関前の庭石として置かれている。案内板があるのでそれと判るが、とりたてて普通の庭石という風情である。この鯉石の隣には“行基石”と呼ばれる石もあり、東大寺建立の際に六甲山から運ばせていた石とも言われている。

<用語解説>
◆有岡城
伊丹城と呼ばれていたが、荒木村重が攻め落として有岡城と改称する。後に村重が織田信長に反旗を翻したために落城。天正11年(1583年)廃城。現在のJR伊丹駅周辺にあった。

◆猪名野神社
有岡城の北端に位置していた神社。現在でも土塁の遺構が残る。

アクセス:兵庫県伊丹市仙僧