宝積寺 天狗の腹切り石

【ほうしゃくじ てんぐのはらきりいし】

宝積寺の本堂脇、ちょうど小幡氏歴代の墓群へ向かう途中に、非常に不自然な感じで、注連縄が張られ卒塔婆が立てかけられた巨石が置かれている。宝積寺創建当初より、修行の僧が座禅石として使っていたとされる。しかし今では「天狗の腹切り石」という不思議な名前で呼ばれている。

永禄6年(1563年)、国峰城主であった小幡家で一族同士の内紛が起こった。城から逃れた兵は宝積寺に陣を張り、味方する僧と共に敵軍に応戦した。その中に巖空坊覚禅(がんくうぼう かくぜん)という巨体の僧がおり、薙刀や丸太を振り回して敵を蹴散らしていた。しかし多勢に無勢は覆しがたく、本堂も火に包まれてしまい、味方もほとんどが倒されてしまった。巖空坊はもはやこれまでとばかり、本堂の脇にあった座禅石の上に立つと、その場で腹を掻き切って果てたのである。この超人的な巨僧の最期の場所ということから「天狗の腹切り石」と呼ばれるようになったという。

アクセス:群馬県甘楽郡甘楽町轟